今回の異動までに、古くなったうえに分散していた各部署の事務室は新工場に集約され、1階に製造部、生産管理部、生産技術部、品質保証部、情報管理部、総務部、2階に営業部、社長室、が置かれ、上下の階にはそれぞれ3つの会議室がおかれました。
異動した生産技術部生産技術課は1階フロアの真ん中の山に配置されていました。品証と生技は山が隣り合っていたので、異動と言っても右後ろの机に移るだけでしたね(笑)。
生産技術課は工場長兼務生産技術部部長に、課長と平社員1名、非常勤顧問1名の、こちらも小さな所帯の部署でした。
元々課長が1人で回していましたが、私が品質保証部に異動になった時には平社員1名を後継者として教育していました。
しかし、この社員は5年ほど勤務しても頻繁に業務上のミスを繰り返して説教を受けており、教育は進んでいませんでした。見かねた総務部が病院に連れて行き知能検査を受けさせたところ、順序だてた論理的思考に軽度の知的障害が認められたそうで、工場勤務に異動になりました。
私が異動した時に居たのは2人目の後継者候補でしたが、彼も10年近く勤務してようやくCAD(PCでの機械設計製図ソフト)を少し触らせてもらえる程度で教育は遅々として進まず、やはり頻繁に説教を受けていました。
その課長の説教は、フロアのほぼ中央にある課長の机の前でフロア中に聞こえる声で行われており、何かの理由で中断されなければ短くても2時間を超えました。説教は失敗の指的から始まり、何で出来ないんだに続き、俺の時は等の自分語りに入り、延々と人格否定が続くというものでした。
他部署の不愉快な説教モドキなど聞きたくなかった私は、品証部に居た時は説教が始まったら事務所外の作業を進めに行くなどして極力聞かないようにしていました。
品証部部長がその説教に対して「あれじゃあ、あいつが可哀そうだ」と1度だけ呟いたのを強烈に覚えています。
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